2021-06

哲学

再解説、技術的な一つの境地としての「空手のススメ」(道元禅師の修証一等と只管打坐)6

《道元禅師の修証一等と只管打坐》 お分かり頂けたでしょうか?「空手のススメ」とは 「細やかな技術」の先にある、一つの「技術的境地」 でもあるのです。《「技術」を「十二分」に積み上げ 「実証」による「経験」を積み重ねたなら、そろそろ そんな「...
哲学

再解説、技術的な一つの境地としての「空手のススメ」(魂の設計図の解読)5

《魂の設計図の解読》 「開展緊湊」と「大展小異」は、どちらも「技術」に おける「妙法」を示しています。それは、 《最初は「大きく」「明確」に「伸びやか」に事を進 めて、やがて「動き」をどんどん「小さく」していき、 「小さく」していっても「同...
哲学

再解説、技術的な一つの境地としての「空手のススメ」(開展緊湊の後、やがて空手になる)4

《開展緊湊の後、やがて空手になる》 「仏教」における「修行」も含めて、あらゆる「道」と いうものは「技術の集積」により成り立っています。 「各段階」ごとにいくつもの「ステップ」が有り、それ らを完了することにより「レベル」が上がり、新たな ...
哲学

再解説、技術的な一つの境地としての「空手のススメ」(当時、最新だった禅文化)3

《当時、最新だった禅文化》 では、解説に入ります。「空手(くうしゅ)」とは「曹 洞宗」の開祖「道元禅師」の残した言葉であり「仏語」 「禅語」です。「何も持たない」状態を表し「手ぶら」 「徒手」でもあります。 中国にて「禅」を体得した「道元禅...
哲学

再解説、技術的な一つの境地としての「空手のススメ」(禅語を鵜呑みにするな)2

《禅語を単純に鵜呑みにするな》 前の「テーマ」で解説いたしました「本来、全てはどうで も良い」は「精神的」な「テクニック」の一つでした。一 度「どうでも良い」として、自身の「ちっぽけな」「どう でも良い」「わだかまり」や「こだわり」「流儀」...
哲学

再解説、技術的な一つの境地としての「空手のススメ」(道元禅師の空手還郷「くうしゅげんきょう」)1

《技術的な一つの境地としての「空手(くうしゅ)」の ススメ》 《道元禅師の空手還郷(くうしゅげんきょう)》 全ての「未来」は、今の「考え方」を起点に作られて行き ます。ですから「高度」な「思考法」や「哲学」を誤解な く、正しく身に付けること...

再解説「聴勁」「トンレン」「祝由」の術としての正体(災いを未然に防ぐ)4

《災いを未然に防ぐ》 私が、これまで「古式マスターヨーガ」や「太極内丹法」 その他の「技術」を学んできた中で、共通して言えること は《全ての「技術」の「根」は「同じ」なのだ。》 ということです。《あらゆる「術」の発動には「無我」が 必要にな...

再解説「聴勁」「トンレン」「祝由」の術としての正体(太極秘訣、捨己従人)3

《太極秘訣、捨己従人》 つまりは「聴勁」「トンレン」「祝由」いずれの「技術」 も、《今の相手の「心境、心情」を自分の中に「コピー」 して、更に「変化」を「トレース」する「技術」。》 ということなのです。「太極武術」において「聴勁」は、 「推...

再解説「聴勁」「トンレン」「祝由」の術としての正体(無我が術のエンジンキー)2

《無我が術のエンジンキー》 「聴勁」そして「トンレン」「祝由」の基礎になる「力」 とは、我々が日常的に使う《「感情」や「意思」の「伝 わる」「伝場」する「力」てす。》我々は何かの「体験」 を「相手に伝える」ときに、「言葉」と「同時」に「感 ...

再解説「聴勁」「トンレン」「祝由」の術としての正体(全身を耳にして聴く)1

《「聴勁」「トンレン」「祝由」の術としての正体》 《全身を耳にして聴く》 よく、映画で「I’m all ears」と言う「表現」を聞くこと があります。《全身を耳にして聴く》という意味を持っ ています。これは「関心」の有る「相手」や「物事」...