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《中庸とは、実は最強の成功法則》6
《中は偏りのない真ん中を示し、庸は常》
さて「中庸」とは「何ぞ?」ということです。
一般的に現代の「日本」においては「偏りのない」
「バランスの良い」「大小、上下の中間」「50対50」
言わば「白黒付けない中途半端」や「中間値」とも
「解釈」されることも多く、「中庸」自体を一つの
「理想的」なものと捉えている方も多いと思われます。
でも、それは完全に「間違い」ではありませんが、
やはり「違う」のです。
《何故なら「中庸」とは明らかに「徳=とく」だから
です。》
ならば「徳」とは何か?、それは「中華文明」に
おいては、人の持てる「卓越性」「優越性」であり
「気質」「能力」を示しており、「体得すべき」
一つの「境地」でもあります。しかし「論語後段」
に「民に少なくなって久しい」と言われる程に
「修得者の少ない」高度な概念を持つ「徳」だと
言えるのです。
「中庸」とは「儒教」における「中心概念」です。
宋代「朱子学」の「四書(論語、孟子、大学、中庸」
にも表される「儒教思想の真髄」です。文献初出は
「論語」で「孔子」とされ、「礼記」の一編、作は
「子思」と言われています。
「中庸」の「中」とは、どちらにも「偏らない」と
いう事を「意味」していますが、単純に「中間」を
指してはおらず、「中庸」の「庸」とは「朱子」に
よれば「平常」または「常」、特段に「優れた点」
や「変わった点」を持たない、「用」と捉えて、
中間の道を「用いる」とする「解釈」も存在します。
《それは「偏りがない」ことであり、「定常」を
理想とし、「過不足の無い」状態を示しています。》
それは「理想的」「精神的」「形而上的」な「中」
ではないのです。どうですか?少し理屈として
「分かりにくい」かもしれませんが、ここに
「中庸」を一つの「価値観」として捉えると
この「意味」が解けてくるようになります。
つまり「中庸」とは、
《「思考」主に「価値観」において「両極の真理」
の一方に「偏らず」、過不足の無い「中性」を
意味していて》
全ての「判断、選択」における「価値観」としての
「中立性」を如何に捉えるか?ということを
「この世」の人間の諸行為の根本として問うている
ということなのです。
「氣塾」代表 木村丈彦
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