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《続、カルマの謎について》6
《カルマの本質の考察》
インドにおいて「業=カルマ」の「思想体系」は
紀元前10世紀から4世紀にかけて確立されて行き
ました。仏陀の登場と「仏教」の成立は「業論」
においても、一つの現実的な答えをもたらす事に
なります。
「比丘たちよ意思が業であると私は説く」(仏陀)
当時「瞑想行、禅行」による探求の中での体験事実
を重んじる時代において、体験不能なものは「妄想」
「想像」の域であり、「瞑想行」自体が不完全で
稚拙」な場合や、解釈の飛躍も想定出来る訳で、
事実としては認めない、という立場をとりました。
よって明確に因果関係を考慮した時に、ある意味
「運命論」としての「業」は認めざるを得ない。
しかし今世での、どの「業」がどの「前世の行い」
に対応しているのか?等は基本的に
「死なない限りは、確かめようの無い物事である」
したがって「今世」の出来事の意味を安易に前世
に求めるのは間違いである。という後退的でなく
「前進的」で「未来思考的」な姿勢をとるのです。
また、その「業」の発生するプロセスにおいても、
人である以上「行動、行為」の発生する前に必ず
「意思、思考」有りきである、よって「業=カルマ」
とは、その結果が発生する行ないであり、行ないの
元に「意思」が有る以上《「業」とは「意思」》
すなわち「自我=エゴ」である。ならば、最終的に
「自我、個」から解放され「宇宙=梵」と一体となる
「解脱」の境地に立った時、「個」では無くなって
「全体」となるのですから、そこには「個」であるが
故に持つ「業=カルマ」も無くなると、最終的に
「基本理論」が明確に成り立つ訳です。
これが「仏陀」の説いた「業=カルマ」に対する論
理の概要です。いかがですか?
輪廻転生のシステムに必要な意味があり、それが
どの世においても「人と人」が絡み合い、そこに必
然的に「業」が生まれる以上、「業の本質」とは、
やはり、どの角度から考えてもそうあるべきでは
ないでしょうか?
これらは、事が「仏教」でなくても「この世」の
ありようを考え、正しく「瞑想行、禅行」に励めば、
おのずと導き出されるべき一つの「事実」なのです。
更に、解説を続けましょう!!
いかがでしょうか?
「氣塾」代表 木村丈彦
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