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新シリーズです。これまでのブログを前提にして、更に
色々な物事の「虚と実」を見極めて参りましょう。
テーマは何かと質問の多い「悟り」についての「あれこれ」
です。このブログは「弟子」「生徒さん達」そして
将来「この道」を目指そうとする人達に向けて、少しでも
自分の知り得た「事実」を「書き残そう」として
始めたものです。もちろん「マスターヨーガ」「内丹法」
の「技術」に関する「妙法」を、安易に書く訳には
いきませんが、「妙法」への「ヒント」は極力
「分かりやすく」書き残したいと思っております。
「この道」を歩む全ての「後達」の皆さんへ、、、
「悟り」とは「覚り」とも書きます。すなわち「覚悟」
「そのように覚えて悟る」ことです。「悟り」には、
大きく「瞑想」=「瞑想、禅、観想」が不可欠です。
「○○とは何ぞ?」という「問題提起」をして、
それに対する「自分以外」からの「発想」「ひらめき」
を貰い「禅」により、まだ知らない「気付き」を得るのも、
一つの「悟り」ならば、「視覚」「聴覚」の感覚を「覚醒」
させて「4番」の「魂」の中にある「過去生」の「記憶」に
アクセスするのも、一つの「悟り」を生みます。
更には「全感覚」を「覚醒」させることによって、
「あの世」にいた時の「感覚」を再現することも
一つの「悟り」でしょう。つまり、体が有る為に
「目」や「耳」や「鼻」により、「この世」においては
「全六感」は分けられている訳で、本来「目」や「耳」
が無かった時は、「音を見たり」「色を聞いたり」
出来ていたのです。
生まれつきに「視覚障害」を持つ人の中で、「絶対音感」
を持つ人には「音を視覚的」に「見ている」と証言される
方も、結構おられるのですから。
要するに「悟る」とは、単純に「ひとり百科事典」と
言うような「単純」「安直」ではありません。
仏教においても、「禅定」の中で段階的に「悟り」へと
至る「漸悟」と、「ドカーン」と突然衝撃的に「悟り」へ
至る「頓悟」があり、それぞれ「北方、南方」と「禅」の
「悟り」を目指す宗派も別れています。
「悟り」はキリスト教では「気づき」とされますし、
インドでは古代「ヴェーダ」の時代から、その状態を
「ニルヴァーナ=涅槃」として「技術的」「哲学的」に
研究されてきました。このように各宗教によって「悟り」
も「段階的」に研究され、そこに至る「技術」を「行法」
として「実践」され、追い求めてこられたのでしょう。
まあ、これらの理屈や歴史を、わざわざ小難しく書くのは
「宗教学者」の仕事です、「悟り」の解釈は「宗教、宗派」
の数だけあるということです。
我々「実践」に生きる「行者」は先に進みましょう。
一般の方々の「悟り」のイメージとしては、ある日、
「衝撃的」に「ドカーン」と「悟り」を開いて、何もかも
「分かってしまう」というものが大半だと思いますが、
このように「悟り」に関しては、実際は様々な「段階」や
その「性質」により「違いがある」ということを、
まずは、理解しておいてください。
それでは、次回へ向けての「問題提起」をいたします。
「悟り」とは様々なものがある、ということを前提にした
時に、自然哲学者「アイザック・ニュートン」は、1665年
「リンゴが木から落ちるのを見て、万有引力を提唱」
したとあります。
「これも、(悟り)ではないのですか?」
では、また次回。
「氣塾」代表 木村丈彦
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