いつもブログをご覧いただきありがとうございます。
ランキングの応援クリックよろしくお願い致します。
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥
「自己」つまり「自分自身」とは?「何者?」を
問うていくのに「魂とは?」は「表裏一体」であり、
「輪廻転生」つまり「次」が有るのか?前はあった
のか? によって「立ち位置」はかなり「変わる」
ことになり、その国の「宗教観」によって、かなり
「見解」が変わります。ですから、これはやはり人類に
とっても太古からの「テーマ」と言えるでしょう。
なかなか「見えない」「自己」をいかに「見つめるか?」
は古代インド、中国、ギリシャでも「宗教」「哲学」に
おいて、絶えず中心的な「議題」であったのです。
インドでは古く「ウパニシャッド哲学」においても、
「議論」されました。何故なら「自己」とは
「絶えず変化」を重ねているからです。
例えば、新たに「車」を買う場合、車種を決め、
車屋さんに通い、カタログを見つめる時、
「どんな車で、どこに行くか?」と「幸せ感」は
「絶頂」になっています。でも、いざ車が納車
された時点で、それは既に「現実」になってしまい、
その時点から、「幸せ感」や「夢見感」は、どんどん
「減少」して、その人にとっては、「当たり前」の
「現実」であり、「日常」になってしまいます。
皆さんも経験があると思いますが、このように
「自己」とは絶えず「変化」を重ねていて、
「自分」にとっても「掴み所」の無いものなのです。
これは「自己」は既に「自己」ものでない、
という「解釈」が「可能」になります。
「ウパニシャッド」すなわち現代での「法華経」で
知られる「一節」です。
《「我に子あり、我に財あり」と愚かな者は悩むが
その「我=自己」でさえ既に自分のものではない、
まして子が自分のものでは無く、財も自分のもの
では無いのだ》 (ダンマパダ 62)
「子を持ち、財を持った」としても、いざという時
は「我」一人、いくら「子」に愛を注いでも、
「財」を蓄えたとしても「不意な厄災」や「病」の
時に、そうそう頼りになるものは無く、ましてや、
「あの世」に行くのは、誰もが「自分一人」で、
「思い出」以外、何も持って帰れない。
ならば、「自己」を「揺るぎのない」「確かな」
ものにしたほうが「良い」のではありませんか?
「自己を求めましょう!」ということです。
我々は「実際」に「物事」が起こらないと、
「自分」がどのような「思い」をするのか?
その「予想」と、実際の思いの「現実」では
「差」があります。それほどに「自己」とは、
その「本人」にとっても「予想がつかない」
「掴み所」の無いものなのです。
「自己探求」更に続けましょう!
では、また次回。
「氣塾」代表 木村丈彦
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥
お読みいただきましたらプチっと応援クリックよろしくお願い致します。
氣塾の各メニューのお申込みお問合せは、氣塾サイトのお問合せフォームよりお願い致します。 お申込お問合せは→ https://kijuku.org/contact
《「気持ちが弱い」「気持ちが沈む」「更に気を強くしたい」どの様な方々においても「氣塾」は「気脈の詰まり取り」を先ずお勧めします。「気脈の詰まり取り」により「気」の流れが改善され、「気」が旺盛に「体内」を流れる事は「気の滞り」を無くし「精神力強化」の為の「最初の第一歩」として非常に重要な事です。尚この「気脈の詰まり取り」は「対面での個人施術」と「スカイプ等の遠隔施術」どちらでも可能ですので お気軽にお問い合わせ下さいませ。》
《「氣塾」の「特徴」は「3500年」続く、卓越した「クオリティ」と、確実な「カリキュラム」に有ります。 自分の新たな「能力」を見つけて、 磨きたい!!そんな方々は、是非「氣塾」にいらしてください!!きっと、「新たな何か」が見つかります。》
コメント