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起こる「物事」によって、本人の「予測外」に
「変化」して、「掴み所」の無い「自己」。
これを「コントロール」する「前」に、いかなる
ものなのか?を「人類」は太古から「追求」して
きました。近代の哲学は「自我の自覚より始まる」
と解きます。そもそも「自我」は有るのか?の
問いに対して、デカルトは「コギト・エルゴ・スム
=我思う、故に我あり」と「論証」しました。
ここで、よく「質問」と言うか議題として出るのは、
「自己を知れ」と「自己探求」するのにあたって、
「仏教」での「無我説」との「整合性」なのです。
「無我」が良いのに「自我」を探求して良いのか?
と聞かれたりしますが、「無我」とは「非我」とも
申しますが、イメージ的に「自分が無くなる」と
とらえると「理解」しにくいですが、「我が無い」
ですから、「我を張らない」「主張しない」
「思いを出さない」「思いを発生させない」と、
「展開」していくと「理解」しやすいと思います。
ですから「自己」はある訳で、「自己」に「思い」を
「発生」させなく出来れば「苦」は発生しなくなり、
全ての出来事は「通り過ぎて」いくのみ、となります。
これは、「自己」のあらゆる「執着」すなわち「我執」
を意味し、その「我執」を「克服」することを意味して
います。「無我、非我」は更には「我で無く」「我に非ず」
と展開していますから、同時に、前回に触れました、
「一切は我では無く」「我のものでは無い」ということに
なるのです。
更には「初期仏教=スッタニパータ」では、この「我執」
の「克服」を最優先にしており、一切のものが我では無い
「諸法無我」を「智慧」により「真」に理解することに
よって「平安」な「涅槃」に至るとして、厳密には
三つの「観想」、「私では無い」「私のものでは無い」
「私の我では無い」により「観察」していきます。
これらは、あえて言いますと「自然」にそのような
「心持ち」に達するのは、年老いる以外は「非常に」
「困難」かと思います。これは「修行」により、
身に付ける「技術=テクニック」と思って頂いた方が
実際には「早い」のです。
次回は、その「技術」の「概念」のお話しをします。
続きます。
では、また次回。
「氣塾」代表 木村丈彦
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