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あらゆる「神話」に「夢見た」古代の人々とは異なり、
「言葉」と「科学」そして「意識」というものを得た、
現代の人達は「夢見」に憧れているものの「冷め過ぎて」
いる為に「夢見」の「力」を失ってしまったのかも、
知れません。しかし「夢見」の「精神」とは、決して
「スピリチュアル」の世界だけの事では無くて、他の世界
にも実は多々有るのです。
例えば「ポール・ゴーギャン」。彼は1800年代後半の
後期印象派・抽象主義を代表する画家として有名ですが、
彼はそれ迄の印象主義の筆触分割に異議を唱えます。
彼の主張とは、目に映る対象を見たままにキャンバスに
再現しようとするのが「印象派」の理念だとすれば、
その様な「表現法」は彼にとっては、物足りないものであり
「印象派」の絵を「頭を使っていない」と評する程でした。
ゴーギャンにとっての「芸術」とは「知性」と「想像力」を
結集した「創造的」なもの、という主張でした。
《あまり忠実に自然を模写してはいけない。芸術とはひとつの
抽象なのだ。自然を前にして「夢見る」ことにより、自然から
抽象を引き出しなさい。結果よりも創造行為により一層の
思いをこらしなさい。》
この主張が出来る前、ある時期ゴーギャンはドガに教えを
受けています。ドガは他の印象画家のスタイルとは異なり、
自らが見た「印象」の「記憶」を元に、線描を重視し大胆で
奇抜な構図や対象の瞬間を鋭く捉え、都会的なモチーフを
好みましたが、ドガはゴーギャンにこう言っています。
「目に見えるものを写し出そうというのは大変結構。
だが記憶にしかないものをデッサンすることはさらに
良いことだ」。この主張に感銘を受けたゴーギャンは、
「葛飾北斎」等の「ジャパネスク」の影響も受け、独特な
色彩の「まとめ・単純化」の描写法である「抽描写理論=
クロワゾニスム」と総合主義の表現法「サンテティスム」
に至ります。やがて貧困と娘の死による絶望の淵にあった
ゴーギャンは1898年.遺書的な大作となる《我々はどこから
来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか》を
仕上げることになります。
これらの事実を知るだけでも、ゴーギャンにとっての
「芸術」とは「夢見」の中、すなわち「瞑想」の中にあり
なおかつ「禅定」と共にもあり、それらの「哲学的」な
「思想」の表現法として「抽象」による「画法」こそが、
自らの「魂」の表現として、まさに「正確」だったの
でしょう。1800年代の画家達に見れる「芸術」と「哲学」
との「戦い」は「一生を掛けた」非常に「凄まじい」
もので「精神性」の高さが伺えますね。
《 「具象」より「抽象」の方がより「写実的」である。》
もう少し、画家達の世界を見てみましょう。
「氣塾」代表 木村丈彦
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