《人は、あらゆる「力や能力」を得ると、全てが「落ち着く」
方向に向かうことになります。》
例えば「武術」において「体力精神力的」に「弱かった人」
が「筋力」や「戦うためのテクニック」を数年習得すれば、
まあ、素人よりも確実に「強く」なる訳です。そうすれば、
「強い自分」を実感する事になり、精神的にも「弱々しい
自分」から「ゆとり」が出てきます。そうしていつの間にか
小動物的な「ビビリ感」は無くなり「落ち着いて」くるもの
です。これは「気力」も同じです。「氣塾」ではこの「氣」
を「強化」する事に特化させていますが、「気力」が強く
なれば、その「器」である「器量」も大きくなるもので、
「器量の大きな人」のイメージ通りで「落ち着き」が出て
来るものなのです。
更には「知は力なり」と言いますが、人間というものは、
「未だ知らない」「理解できない」事に対して「恐怖感」
を持ちます。知らない、分からないから「怖い」訳で、
その「足りない部分」に「知識や知恵」が「補填」されれ
ば「何だ、そういう事か!」となり「恐怖感」も無くなり、
既に「知った」訳ですから、これも「落ち着く」方向に
向かう事になります。
このように「知るだけでも」かなり「落ち着く」方向に
行けるのに、なかなか行動に移せず「知ろうとしない人」
も居れば、「エリートインテリ層」みたいに、取り敢えず
「知識ばかり」を貪欲に取り込んで、「知る快感」を得て
「安心」しようとする人達も沢山おられるのも事実では
あります。でもこの場合、「知識」とは絶えず時間と共に
「古くなる」ものであり、随時更新しなければいけない
ものでもあり、《それ故に「知識」ばかりを得る事は
「心の負担」を増やす事である。》と言われる訳なのです
が、もう一つは「知識」とは決して「経験」という「厚み」
を持つものでまない為に、何処までも「らしいよー?」と
いう事であり、そこには「知識自体」の「存在証明」が無い
という「真理」が成り立つのです。
まあ、こういう事で難しいことを抜きにしても、あらゆる
「能力や力」とは得れる事が出来ると、全ては「落ち着く」
方向に向かうという事です。それは例えば「習い事」でも
同じでして、仮に「あなた」が「ピアノ」を習得したとして
「あなた」の根本的な性格が「激変」する事はなくても、
やはり体得した事による「自信」は宿りますし、「音楽」を
通しての「あなた」の世界観は豊かに「変わっていく」こと
にも、誰も「異論」は無いと思います。それが分かっている
のに、なかなか腰が上がらない、邪魔くさいのは、それも
時間を無駄にしてしまう、人の本質でもあるのでしょうが、
「やったか」「やらなかったか」は最終的に「人の厚み」の
差をもたらし、「落ち着き度」の差にもなるのは間違いは
無い事なのですよね。
更に、続けていきましょう!!
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