哲学

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今だからこそ「半笑いのススメ」(課題、難題、山積みな今だからこそ)1

私、毎月の第二週には「東京」にて二日間の「個人 セッション」と一日通しで「イベント東京氣塾」を 行なっております。都合三日間で「約30人」の 方々と膝を付き合わせて、「氣」を読み取り、今後 の「人生」の「進み方」や「問題解決」に付いて 個々...
哲学

真面目な人ほど生き難い「常識」の正体(尻拭いが出来ない人は挑戦者になれない)6

《良い筈である「常識」が、何故に「良い人達」 を、そうも「生き難く」させているのだろう?》 これを考えたときに、 《「常識」の「足枷」から逃れて「非常識」に 「挑戦」するには、必ず「リスク」が生じます。》 結論として、何かに「挑戦」して「成...
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真面目な人ほど生き難い「常識」の正体(ビジネスの世界ではセオリー打破は常識)5

《今日の「非常識」は、明日の「常識」》 それ程に「常識」は「移り動き」ます。「時代 の流れ」と共に簡単に「覆される」もので、 それは「ビジネスの世界」では、非常に顕著です。 あらゆる「ビジネス」には「定型的」な「セオリー」 というものが有り...
哲学

真面目な人ほど生き難い「常識」の正体(常識にあえて疑問を持てる智恵こそが良識)4

「社会の一員」として、家族や周囲の人達との間 で「摩擦無く生きる術」としての「常識」は非常に 重要です。何故なら、そこには多分に「気遣い」や 「思いやり」を含めた「道徳的精神」が含まれている からなのですが、そんな「常識」を半ば「盲信的」に...
哲学

真面目な人ほど生き難い「常識」の正体(常識とはダブルスタンダード)3

《良い筈である「常識」が、何故に「良い人達」を そうも「生き難く」させているのだろう?》 どうも、そこには「常識」の持つ「二重規範」 「ダブルスタンダード」が大きな「要因」となって いるようです。「常識」とは「社会生活」における 「当たり前...
哲学

真面目な人ほど生き難い「常識」の正体(非常識をひっくり返すと常識が見える)2

「きちんと」する「ちゃんと」する、とは「常識」 に基づいての「行ない」です。「常識」とは 「社会の構成員」の一人として「当たり前」のもの とされ、社会的な「価値観」「判断力」「認識」、 これらが、自分だけではなく「客観的」に見ても 「常=つ...
哲学

真面目な人ほど生き難い「常識」の正体(キチンとしないと、ちゃんとしないと)1

最近、これまでに無く「社会」において、 いわゆる「お固いご職業」に就かれている、又は 就かれていた方々が「氣塾」の特に私の「教室」 に多数来られる様になりました。それはそれは 「正しく」「きちん」と「生きて」きた方々です。 「氣塾」で教える...
人生・自分

「人生とは本来楽しいものである」の哲学的検証(あの世には思い出しか持ち帰れない)8

《「人生」とは、本来「楽しい」ものである。 でも、その「人生」を「楽しい」ものにする為には 自らが「切り開いて」いかなければならない。 「切り開いて」いけない人達には「人生」は「我慢」 を強いることになるだろう。》 ここまで読んで頂いた方々...
人生・自分

「人生とは本来楽しいものである」の哲学的検証(あの世は想定だからスリルが無い)7

《「あの世」に戻った我々は、自らの「思考力」と 「想像力」で「やりたかった事」を「やりたいだけ」 いくらでも「やり続ける」事が出来ます。》 でも「知らなかった事」は「知らない」訳で、そこは 「想像力」で何とか「フォロー」する、「緩く、淡い」...
人生・自分

「人生とは本来楽しいものである」の哲学的検証(あの世は全て想定の範囲内)6

《「この世」とは「テーマパーク」「遊園地」の ようである。》 実は、これは「あの世」に居る時の、我々の「実感」 でもあるのです。「あの世」に居る時の我々とは、 「魂だけの存在」であり、「あの世」とは「この世」 の様な「物質界」ではなく、純粋...