「あるがままで良い」という訳ではありません。これは
《「内観」において、自身の「あるがまま」の「長所短所」
を「あるがまま」に見つめて、「足りない所」「不得手な
物事」を「足して」少しでも「丸」に近づけましょう。》
ということなのです。「向上する」為には、先ず「あるが
まま」を認めなければ「始まらない」のではないか?と
いう事です。それを繰り返していれば「不得手なもの」は
減り、やがては「安定」して「落ち着いて」くる様にも
なります。これも「力を付ける」ことの一つです。
先ず「あなた」が正しく「強く」なれば、また「別の人」
を「助ける」ことが出来ます。そうです「あなた」さえ
「強く」なれれば、それだけ「助かる人」も増える訳です。
それでも「最後」は人間は「弱く」なります。それは「歳」
と共に「仕方のない」ことなのです。特に「現代」の
「65歳以上」の「5人にひとり」は「認知症」になる時代
です。「認知症」にならなくても、身体にあちこち不具合
が出てくるとも限りません。そうともなれば「嫌でも」
他の人の「世話」になる必要があります。その手のご相談
も数々受けておりますが、つくづく思いますのは、
《人間、いくつになっても「最後」に肝心なのは「可愛げ」
なのだ、ということです。》
周りの世話をしてくれる人は、大変なのです。でもそこで
「感謝の一言」と「可愛げ」さえ有れば「しょうがないな」
となり、何をしてあげるのにも「やらされている感覚」は
起きないものなのです。
だから、私は「未だ若く」「身体が動いて」日々の生活が
可能であるなら「強くなって」頂きたいと思うのです。
そして「強さ」の持つ「ゆとり」でもって、周りの人達を
「助けてあげる」立ち位置になって頂きたいと思います。
それでも、やがて「歳を取り」「弱る時期」が来るもので、
そうにでもなれば「可愛げ」を出して「愛される」お爺さん
やお婆さんになって頂ければ良いのではないか、と思います。
《それでも私は「年寄り」になってからが「勝負」だと
考えています。》
「ヨーガの世界」や「内丹法の世界」に出てくる「仙人」は
皆が「長髭」を蓄えた「お年寄りの姿」をしているのです。
「内丹法」とは「不老長寿」を目指すのですが、この「仙人」
の「姿」を見ていると、「若いまま」の姿ではなく、いったん
「年寄りの姿」になってからが「勝負」なのだな?と思う訳
です。「歳をとってから」の「修行法」も沢山「伝わって」
いる訳ですから、私は「歳を取る」こと自体は「楽しみ」でも
あります。「あなた」が「スピ系」でも、そうではなくても
物事の「考え方」というものは、そういうものなのです。
では、新たな「テーマ」に移りましょう!!
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