いつもブログをご覧いただきありがとうございます。
ランキングの応援クリックよろしくお願い致します。
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥
《本来、人は皆(神性)を持っているのか?》
この問いに関しての「仏教」の答えは、かなり
「現実的」です。もちろん「宗派」による、
「見解」の差はありますが基本的に「仏教」での
「仏性=ぶっしょう」とは「仏の性質と本性」
を表します。大乗仏教では「覚性」ともいいます。
この「覚性」のとおり、「仏性」は「開発」する
もので、自在に発揮されるもの、とされており、
更に広義においては「成仏」する為の三つの要因、
「三因仏性」の考えの中にも「身に付け、開発し、
発揮すべき」仏性である「引出仏性」と、
本来、本性として元から具わっている仏性
「自性住仏性(正因仏性)」そして、この二つが
「成仏」して完成し実った仏性「至得果仏性」
の考え方があります。
これらは時代により「変化」を重ねてきました。
「仏性」の概念は、意外にも近代になってからの
もので、「宗派」により見解には違いがありますが
全ての「宗性」が等しく「仏性」を持つという、
「一切衆生悉有仏性説=いっさいしじょうしつう」
の考えは「大乗仏教」中期以後になります。
時代の流れと共に変化を重ねた「仏経」ですが、
私の「個人的」な見解として、「氣」が万物に
宿る「大いなる」力の「源」ということを前提に
して、「仏に成る種」である「仏種」すなわち、
人は「仏性」「神性」の「種」を「ことさらに」
兼ね備えていますが、通常において「自覚」は無く、
その「自覚」はやはり「育てる」ものと思います。
それは、例えば親から子への「一方的」な、
「無償の愛」と同じく、「育てる」中に目覚める
ものなのだと思います。その「種」というものが、
かなり「信じる」に値するものではないか?と
思う根拠として、
仮に明日、自分「一人」が犠牲になることによって、
大多数の人の「命」が「救われる」となったとしたら、
「命」を捧げだせる人は「多いと」思われます。
その心境は計り知れませんが、ある種の「満足感」を
伴うのだとしたら、そこに「仏性」なり「神性」が
在るのだと思います。
では、大きな「仏性」「神性」を「宿命」として
「もたらされた」人とは、どのようなものでしょう?
「考察」を続けてまいりましょう!
では、また次回。
「氣塾」代表 木村丈彦
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥
お読みいただきましたらプチっと応援クリックよろしくお願い致します。
氣塾の各メニューのお申込みお問合せは、氣塾サイトのお問合せフォームよりお願い致します。 お申込お問合せは→ https://kijuku.org/contact
《「気持ちが弱い」「気持ちが沈む」「更に気を強くしたい」どの様な方々においても「氣塾」は「気脈の詰まり取り」を先ずお勧めします。「気脈の詰まり取り」により「気」の流れが改善され、「気」が旺盛に「体内」を流れる事は「気の滞り」を無くし「精神力強化」の為の「最初の第一歩」として非常に重要な事です。尚この「気脈の詰まり取り」は「対面での個人施術」と「スカイプ等の遠隔施術」どちらでも可能ですので お気軽にお問い合わせ下さいませ。》
《「氣塾」の「特徴」は「3500年」続く、卓越した「クオリティ」と、確実な「カリキュラム」に有ります。 自分の新たな「能力」を見つけて、 磨きたい!!そんな方々は、是非「氣塾」にいらしてください!!きっと、「新たな何か」が見つかります。》
コメント