信じる「スピリチュアル」》どちらも「大元」を辿れば
「信仰」から始まります。皆さんは中に入らないと分から
ないかも知れませんが、この「二つ」も同じ様でも「真逆」
に位置する「対極」となります。「現代的スピリチュアル」
がこれまでの「信仰」と異なる点としては、「特定の神様」
を「信仰しない所」にあり、その対象は「本来一つであるべき
神様」もしくは現代的には「宇宙人」「○○星人」というもの
が対象となります。先日「弟子の一人」から、この「YouTube」
を「見てみてください!」という事で「ある方」の「動画」を
数本見させて頂きました。元々「リーディング」等をして来ら
れた様で、「ハイヤーと繋いで」様々な「メッセージ」を発信
しておられる方です。内容を見ていくと「なるほど」間違った
変な「偏り」も見当たりませんし、「あの世、この世」に関わ
る「システム」である「法」の部分に関しても「スピ的な表現」
ではあり「お花畑感」は拭えませんが、それも一つの言い表し
つまり「解釈」だと受け取れます。例えば、この「ブログ」を
読んで頂いている方々には既に「おなじみ」の「大転換期」。
この「2018年」から始まり「2019年に本格化」「2020年」に
穏やかに緩む、この「変革期のプレッシャー」と「個人の存在
意義の再定義」。これは「スピリチュアル」においては、
「フォトンベルトから来るエネルギーライン」と解釈されて
います。そして「エネルギーの光」が皆に注げば、ポジティブ
な心には「力」となるが、光が当たると「影と闇」が出来る、
この「影と闇」から「逃げてはいけない」、正しく「主体性」
を持ちましょう!!という流れで進んで行きます。これも、
「解釈の違い」に過ぎませんし、理屈的にも間違っていません。
《ここで一つ言えるのは、「上と繋ぐ」「上から降ろす」この
事に関して、我々の「行法」と「スピリチュアル」においても
「特定の公的な立ち位置」に至った「正確にメッセージ」を
「受け取り、解釈出来る人」ならば「表現の違い」は有れども
「似たような事を言うものだ」と言うことが分かります。》
では「異なる面」とは「どこに生じるのか?」という事ですが、
《それは「メッセージ」を「発信」した「後の事」に「違い」
が生じるのです。》
「スピリチュアル」では「特定でない神又は宇宙人」そして
その「メッセンジャー」を「信じる」ように誘導しますが、
その中において、あらゆる「コントロール」に対しては改めて
「疑問を持ち」「確かめよう」と呼びかけます。「自分の魂」
に「腑に落ちないもの」は「受け入れないで」とも言います。
これは「法」で言う所の「心の眼、心眼」を表します。
つまり、何が正しいか「分かりますよね?」と言いたいので
しょう。理屈は正しいと思いますが、そこは
《「信仰」と同じで「信じる力」のみに「頼る」という事に
なります。でも、そこで私は「思う」のです。確かに「信じ
る事が全て」で「信じる者は救われる」であり、これは
「信じた者だけ救われる」とも言えますが「スピリチュアル」
に「信奉」する大半の人達が「現実的」にも「精神的」にも
「弱者」が殆どです。》
《「現実的」にも「精神的」にも「弱者」な人達だからこそ、
「自分のことが一番信用出来ない」のです。だから「迷う」
のですし、「迷う」から「外に救い」を求めるのです。》
ここが「行法」と「スピリチュアル」との「真逆な部分」
だと言えます。
《「行法」とは「自分の精神力」を「鍛え」「強化」して
「自分の力」でこの「世の中」に「挑戦」して、その「成果」
と「結果」で持ってして「自分にとって、一番信じれる自分」
を作るものです。》
つまり、自分の外にある「神か特定の人」か、「自分自身」
を「信じれる者」になるか、これまでの私からすれば、
「自分を信じられずに、何を信じるの?」という事になる
のですが、《ここからは「更に引いた思考」に移る必要は有る、
全てを「飲み込んだ思考」とは何か?》との「きっかけ」と
なった出来事だとは、思えるのです。
更に、続けていきましょう!!
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