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《外に「信じるもの」を求める「スピリチュアル」か?
自分を「信じれるもの」に磨き上げる「修行」か?》
本来、このどちらも「宗教」から発生したものではあり
ます。「宗教」から「信仰」は「当然の流れ」として、
特に「古代インド」に端を発する「仏教」「儒教」「道教」
を含めた「東洋の宗教」は「ヴェーダ哲学」を元にして
いますので「梵我一如」の「思想」により、
《本来「人間」も「宇宙=神様」が「作ったもの」だから
「同じ性質」を持っている筈なのだ。》
という事で「神様に近づく」為に「修行」というものが
出来た訳で、それでも「普通の人達」にとって「修行」とは
いつまで経っても「苦行」や「難行」であるが故にどうして
も「信じるもの」を「外に求める」「スピリチュアル」の方
が「入り口」としては「馴染みやすいもの」だと言える事
自体には「仕方がないのだろう」とは、思いますね。
でも、よくよく考えたら「分かること」だと思いますが、
《「この世」で「自分の人生」を生きる事自体が、なかなか
「思い通り」にはならないし「困難」「苦難」が続く
「修行そのもの」ではないですか?ということなのですよね》
《だから私からすれば、「生きる」という事だけでも「修行」
なのですから、どこまでも、その「本質」には自分自身が
「この世」で「生きる」という事に対して「精神的にタフ」
に成らないと、何処までも「辛いのではないですか?」と
思うのです。》
だって「人生」を左右する「重要な局面の選択」には誰もが
一人で挑まないといけない事には変わりは無いのですから、
《「自分一人」で「人生の先行き」を占い、良い可能性を
求めて「数ある選択肢」から「一つを決める」。》
こんな、言わば大それた事をする為には「変に恐れない」
「強い精神」が要りますし、「迷い」に対して的確に「答え」
を持つ「哲学」、やってみないと「分からない物事」を決める
「予感、直感、勘」これらを「身に付けた」方が「何かと有利」
ですし、何かと「迷わず」決められる訳ですから、どうしても、
《それらの「能力」を「技術的」に「身に付け」ようとすれば
それは「修行」しかありませんね!という具合になるのです》
だって「外や他の人」に下手に「自分のこの先」を決めて
もらったとしても、その先に「当たり前」の様に「人生」には
「お題」や「困難」は「付き物」なのですから、それを「外や
人任せ」にすると、安易に「後悔を残す」のは的面なのです。
だから、自分の事くらいは自分で決めるくらいの「能力」は
「最低限必要」となるのです。そこで日頃「○○さんが言って
いるから間違いない」なんて「自分で主体性」を持たずに、
あれこれを「鵜呑み」にする「スピリチュアル」の方々は、
《そんな局面でさえも、その判断を「他に委ねよう」として
しまう、そんな所が「本当に弱いな」と思えるのです。》
そりゃー、全てはより良い方に「導かれる」、全ては「任せ
れば、良いのだ!」で実際に人生上手く行ければ、それに
越した事は無いのですが、それは、本当に「一握り」にしか
「過ぎない」のが現実なのです。そうして「僅か2年程」で
信仰も「諦めてしまう」事が「関の山」に成ってしまう。
まあ、それが「安易なモノの考え」を持った人の典型例では
ないでしょうか?「勿体ない」ですよねー?
更に、続けていきましょう!!
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