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《修行の進むべきルートについて》6
《悟後の修行》
「人」の「知るべき事実」とは、様々な「条件下」に
おいて「回答」が出てくるようになっている為に、
「修行者」とは、自ら進んで様々な「条件下」に
「身を置く」必要性があるのです。「この世」の根本
として「知らぬことが、恐れること」「知ることが、
安心ごと」である以上、「行者」とは、率先して知る
必要があります。でないと「困る人々」を助ける「力」
は持てません。その場合「本で得た、平面的な回答」が
「実践」において、役立つのでしょうか?やはり、
それだけでは「元無い」のです。全ては「経験」の中からで
ないと「説得性」を持ちませんし、逆を返せば「経験済み」
の「事実」とは、厳然たるものであり「神様」でも
ひっくり返せないものなのです。なんせ「事実」ですから。
結局は、最初にご紹介した禅話「趙州録」の「歩久是道場」
という言葉に戻ってきますが、真の「修行者」にとって、
「あらゆる時」「あらゆる場所」が全て「是道場」なのです。
逆に言えば「気力」とは「あらゆる条件下」に「身を置く」
ための「動力源」であり、「あらゆる条件下」を「道場」
に出来なければ「あらゆる事実」を知るには至りません。
現に「本山大徳寺」を開山された「大燈国師」は
《座禅せば四条五条の橋の上、ゆ往き来の人を深山木に見て》
と歌っています。「大燈国師」は修行により「悟り」を
開かれた後に、京の五条の橋の下で「乞食」の仲間に入り、
「悟後の修行」をされたと言う話しが残っています。
結局、「人」とはトドのつまり、肉体を持って「この世」に
降りた以上、全ては「行動」に移さねばならず、「行動」の
「経験」によってのみ「悟り」「気づく」ことが可能なので
あるのです。ならば「瞑想」なり「禅」とは「なんぞや?」
となりますが、「仏門」にもあります通り「瞑想、禅」とは、
「実践」であり「得れる事実」とは「経験」なのです。
「氣塾」代表 木村丈彦
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