《「氣塾」の「私の目線」から見ていますと「気の弱い人」の
「個性」と「真面目な人」の「個性」は全く「違います」。》
これ、普通の人達から見れば「見分けが付きにくい」のかも
知れませんが、全く違うのです。
《「気の弱い人」は「自我=エゴ」が「希薄」ですから明確
に「主張」はしません。それに対して「真面目な人」の場合は
「真面目な自分」を「維持、保持」しようとしますが、これは
明確に「真面目であろう」とする「主張」であり「強い自我」
なのです。》
つまり「気の弱い」自分が希薄な人に対して、「真面目な人」
というのは「真面目な事」に対して「酷く頑固」ですよね?
これにより「不正」を含めた「不真面目な事」に対しては
とても「懐疑的」ですし、絶えず「疑っている」節もあります。
だから私から見れば「真逆」であり、全く「異なる人」に見え
ているのです。その様な意味において、
《「気の弱い人」の特徴として「非常に純粋、ピュアな心」の
持ち主と言えますし、「純粋、ピュア」であるが故に、外から
の「刺激」に対して「繊細」だと言えます。》
この前の「テーマ」で書きましたが「氣塾」においては一番
最初にお会いさせて頂いた時に「気脈の詰まり取り施術」を
させて頂くのですが、
《「普通の人」や「真面目な人」「気の強い人」に比べて
「気の弱い人」は「自我が希薄」ですから「気脈の詰まりも
少なく」簡単に「詰まり取りの施術」がその場で出来ますし、
「氣に対する体感」や「反応」も「鋭く」「気的」には
「センス」の有る人が多いのは事実です。》
これは、日常的な「現象として荒い出来事」に対しては、
あまり「思い=精神的な反応」を出さないのが「気の弱い人」
だと言えますが、実は「感覚的」や「官能的」な物事に対して
は「非常に反応が早い」のです。これは「気の弱い人」の場合
本能的な「防衛、防御」の反応が、普通の人より「前に出やす
い」から「そうなるのだ」とも言えます。
《これらの「性質」により「オカルティズム」や「スピリチュ
アル」にも「反応しやすい」のだとも思われます。》
「気の弱い人」とは「気の強い人」は「理解し難く、苦手」な
人達だと言えます。それに対して「スピリチュアル」で説かれ
る「愛情」や「助け合う」という「表面的な愛の概念」は、
とても「暖かく」「安心的な要素」が有り、馴染めやすいのだ
と思われます。でも、その反面「純粋でピュア」で有るが故に
「善意というオブラート」で包んでいる「普通の人達の意図」
が「見えていない」ので、その結果として「スピジプシー」
にも「成りやすい」のだとも言えます。これは「気の弱い人」
も「表面的な暖かい心」に馴染みを持つと、いつの間にか、
そこに「依存が生じる」為にそうなってしまうのです。
何れにしても「気の強い」私の目から見れば「不憫」に感じ
てしまうのです。もう少しは「しっかり」とした常識的な
「判断」を出来る「理性」を備えて頂かないと、これからの
「変わろうとしている時代」においては、「生きる」ことが
大変だと思いますね。
更に、続けていきましょう!!
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