YouTube(読み上げver.)チャンネル登録お忘れなく!
《「こつこつ積み上げ修行」と「スッと行くスピリチュ
を考えたとき、この「SNS」が世界を繋いだ現代において
もう「一人の人」が称える「宗教」は「ナンセンス」であり
「特定の神観」を固定しない「スピリチュアリズム」は当然
の流れだと言えます。でも「信仰」とは、どこまでも「信じ
る力」を要求されます。つまり「信じる者は救われる」です
し、それは「信じた者だけ救われる」ということです。
《そこで、いつの時代も問題になるのが、「外のもの」に
「導き」を求める「弱い心」に、長年に渡って「信じ続ける」
事が、この現代の「情報社会」において「出来るのだろうか?」
という事になります。》
《だから「スピリチュアリズムの人達」は「次から次へと」、
「今、信じれるもの」を探して「スピジプシー」として、
渡り歩いているのではないでしょうか?》
この点において「修行」には「部がある」と言えると思います。
《何より「修行」とは「弱い自分」から始まって、「弱い自分」
を「精神、身体的」に「鍛える」事により、なにより「外の
もの」ではなく「強くなった自分」を「信じれる存在」にする
からです。》
つまり、これは「修行」も「スピリチュアル」も「共通」して
当初は「目覚め」を目的として進行しますが、仮に「目覚めた」
として、そこから「どう、先を開いて行くか?」の「人間力」に
関する「問題」となってくるのです。
《ここに関して「道の修行の世界」には必ず「修行」により
得た「力」を使った「生き方」を「指南」する「哲学」が明確
に存在しています。》
これは、各個人の「段階、レベル」において存在し「こういう
時はこうするべき」「こういう時はこうしない方が良い」という
「処世術」であり「人生あるある」又は「帝王学」として存在
しますから、「修行により力を付けた」我々にとってはあまり
「迷う事なく」自分の「人生を決める」ことが出来るので、その
点において非常に「有利である」ということが出来ると思います
し、その肝心な「選択」を人に頼る「スピリチュアル」は酷く
「ひ弱」に見えていて、正直「可愛そう」とさえ思えます。
それらに対して「スピリチュアル」では「出来ると信じれば何
でも出来る」と言います。でも、それらの人の「現実」とは
どうでしょう?
《出来ないことを、出来ている様にして「心を踊らせる」ことを
「遊び」と言う、それは子供にとっての「遊び」とは本質的に
「大人の真似」である、ということからも明白である。》
だから、何処までも「遊び感覚」であり「アマチュアの領域」
から「出られない人達」が大半なのではないでしょうか?
《つまり「目覚めと現実創造」において「目覚め」てから如何に
「現実を創造するか?」また「出来るのか?」の問題において
「一対一」「個人対個人」ではない「一対多数」を主軸とする
「スピリチュアル」においては、どうしても「各個人」に対して
「曖昧」であり「具体性が無い」と言えてしまうのです。》
ここまで、こうも言うと、如何にも私が「ゴリゴリ修行」の
「立ち位置」に立って「スピリチュアル」の「至らない点」を
次々と指摘していると、思われるでしょうが、その「ゴリゴリ
修行」の「立ち位置」である「私」でさえ、「信仰」や「宗教」
「スピリチュアル」の持つ「マスのパワー」と「思い込ませの
持つ力」については「認めざるを得無い」のが実際なのです。
《だから、現在「修行」と「スピリチュアル」双方の「利点と
難点」を「洗い出して」いるという訳です。》
今の私が考えるに、「修行」と「スピリチュアル」を「超えた」
新たな「付加価値」を加えた「ハイブリッド」にこそ、それらの
未来にある「進化の形」が見えてくるのではないか?と、
思えてならない「現象」が、身の回りに多く「出現」している
から、そう思うのです。
更に続けていきましょう!!
YouTube(読み上げver.)チャンネル登録お忘れなく!
コメント