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私は「武当派太極内丹法」の「陳 老師」から、
一人前の人に成るのに当たり
《「道教の行」「仏教の法」「儒教の礼」を学び
身に付けなさい、と言われました。》
その中で、もちろん「専門」ではありませんが、
「仏教」における「世界観」から、主に「禅哲学」
を中心に「学んで」います。その中で
《「宗教」とは「残された人達」の為の「あの世」
の形「あの世観」を提示する事に、本来の「存在価値」
と「主眼」が置かれたもの。》
という「認識」で、「仏教」というものを「私なり」
に見てきたのですが、そこにはどうも「しっくり」
こない感覚というか「違和感」を感じていました。
それは特に「この世観」における「仏教」の「そつの
ない隙のない」優等生の様な「良い子ちゃん的要素」
とか、人の持つ「泥臭い本質」とは「かけ離れた」
ものに、特に「腑に落ちない」ものがありました。
《その「違和感」を一気に「打破」してくれたのが、
ここから「解説」する「六師外道」の「思想」だった
のです。》
「理想主義」である「仏教」に対して、「六師外道」
の「思想」は「唯物論者」が多く「現実主義」です。
「六師外道」の思想とは「仏教」の思想に対しての
「真逆もまた然り」という「逆論法」の立場を取ります。
特筆すべきは《行為の善悪否定論》《道徳否定論》の
「思想」になります。「行為に善悪は無い」「道徳を
否定」と聞けば「保守的な日本人」であれば「まさに
外道」「ろくでなし」的な印象を得るとは思いますが、
一人一人の「主張」をよくよく聞くと、その「鋭い」
「達観」した目線と、思想の中に「真理」が見えてくる
もので、「不思議な感覚」に捕らわれてきます。
彼ら「六師外道」の物語は「パーリ経典(沙門果教)」
に収められています。では「六師外道」を一人づつ
「要点」をかい摘んで紹介します。
《プーラナ・カッサパ》
彼は「無道徳論」「道徳否定論者」です。彼こそが
「行為の善悪否定論」を説きました。彼は釈迦と
同時代の人間で、「奴隷の子」だったと言われて
います。彼の説く「行為の善悪否定」とは、
《「魂の完全性」すなわち「輪廻転生」の「永遠性」
を前提にした時に、あらゆる「行為」による「良悪」
の「果報」は無い、ということです。》
つまり「悪い行ない」による「悪い果報」も無ければ、
「良い行ない」による「良い果報」も無い。何故なら、
単純に他の人から「悪い行ない」により仮に本当に
「魂が傷つく」、苦労を強いられて「魂が擦り減る」
としたら「魂」が「滅びる」ことになり「魂の永続性」
自体が「担保」出来なく なってしまう。ということに
「論拠」が在ります。更に「良悪」に付いて
《物事の「良悪」は絶えず変化する為に、本質的には
「計れない」と主張しました。》
よって、殺人や盗み、虚言等あらゆる「悪行」も「悪」
を成した事にはならず、祭祀、修養、真実、感官の制御
(ヨーガ)等のいかなる「善行」も「善」にはならず
《よって、「善悪」いずれの「報い」も存在しない。》
としました。確かに物事の「善悪」の度合いは絶えず
「移り動く」ものです。「悪行」の「報い」が必ずしも
「存在しない」という事実は「憎まれっ子世に憚る」の
言葉により「証明」されています。必ずしも「悪行」に
「報い」があるならば「憎まれっ子世に憚る」は「存在
し得ない」となるからです。
更に、続けていきましょう!!
「氣塾」代表 木村丈彦
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