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《私は「気遣い」とは「この世」においては、
「最も大きな力」なのではないか?と考えています。》
それは「人が強いエゴから離れて」初めて「他の人」や
「複数」にとって良いという「見識」を得ることが出来る
からで、それは「主観、客観、俯瞰、達観」が出来て、
初めて「広く気遣う」ことが可能になる、という事実から
来ます。つまり、かなり「広く」「引いた」目線でないと
その様な「芸当」は不可能だからです。
《それには「人として」の社会における「長らくの経験」
が必要となります。》
《「親身」「親心」相手を思う「気遣い」それらに導く
「達観視」を総じて、古く中国から「禅」の世界では
「老婆心=ろうばしん」と言います。》
これは、過去に「師匠」から教えられてはいても、なか
なか「腑に落とし難い」物事の一つでもありました。
その理由には、私の若い時からの「自立心の旺盛さ」が
関与していると思われます。こんな「話し」があります。
「曹洞宗開祖」の「道元禅師」の話しです。
《かつて「道元禅師」は「気遣い」「心配り」が出来
ない弟子には「免許皆伝」を与えなかったそうです。》
兄弟子の「義介=ぎかい」には「老婆心が足りない」と
いう理由から「免許皆伝」は与えず、先んじて弟弟子の
「懐奘=えじょう」には「伝授」を与えました。
「老婆心」とは「お節介」ではなく「気遣い」「心配り」
を表します。
《「心」というものは「視、聴、嗅、味、触」のいわゆる
「五感」で「捉えられないものを捉え」物事を「推し量って」
いくものです。》
《それは「相手の心」の動きを見て「相手の悲しみ」を認識し
自分も「同じ境地」に入って、その悲しみと「同じ境地」に
達して、「相手の心」を如何にして「慰めて行くか」という
ことが肝要です。》
すなわち、これは我々の言う所の「トンレン=慈悲瞑想」の
「境地」と同じことを意味しているのです。
私は「弟子」を考えた時に、この文章を読んでハッとして
同時にとても反省した事を覚えています。
《「弟子可愛い」と言えども、単純な「気力、気質」又は
段階的な「技術」だけでなく、こう言った成熟した
「心的境地」に達していなければ、やはり最終的な
「免許皆伝」など「与えられる」訳もないということです》
「気遣い」「心配り」がないと言うことは、やはり最終的
には、そこまでの「技量に達していない」とするしかない
のです。やはり「行、法、礼」が揃って初めて「人と成る」
ということです。それは「当人のため」にも、そうだと
いうことなのです。
ある程度の「技術、気量」に達し、それを「他の人達」に
「教授」が出来る「師範代」と、その「道」の「師弟」
での「段階」を終え、「流派を名乗り」「流派の看板」を
背負う「免許皆伝」では、やはり「吟味の度合い」が
大きく異なる、ということで、私としても、改めて帯を
締め直さないといけない、と思いました。
更に、続けていきましょう!!
「氣塾」代表 木村丈彦
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