松下幸之助翁も言いました。
《行き詰まれば行き詰まるほど、必ず道は開けてくるの
です。》
つまり「半端な方が良くない」訳で、徹底的に突き詰め
なければ「答え」なんか出て来ません。大半の人達は、
途中で諦めて「まあ、良いか」となってしまう、だから
いつのまにか「感性感覚の無い」「哲学も持たない」
「自分の現状にも疑問を持てない」そんな「ルーチン
ワーク」の日々を繰り返す事を受け入れる「量産型人間」
に成ってしまうのです。その「半端」こそが一事が万事、
「今の自分の立場」を作っている訳で、それを社会の
せいにして嘆いたとしても、自らの選択によりその位置
に居るのですから、それが「格差の底」であってもそれ
は「自業自得」です。過去の五年が「今のあなた」を作
ったのですからね。
《でも、何処からでも「巻き返し」は効くのです。今の
立ち位置、立場はあまり問題ではありません。それより
大切なのは、どんな位置からでも「より良く成ろう!」
という「気概」が要ります。》
その「より良くなる方法」なら、いくらでも「氣塾」に
有ります。「氣塾」に参加して頂いてその「覚悟と熱意」
を示して頂ければ、いくらでも授けさせて頂きますよ。
「病んで」いようが「貧窮」していようが、それはあまり
問題ではありません。「より良くなりたい」という気持ち
とそれを「諦めない」という覚悟の方が必須となります。
《何故それを言うのか?というと、我々は「ネガティブ」
や精神的に「後ろ向きの人だけは」何があっても「救うこ
とは出来ません」し、手を出す事自体が出来ないのです。》
何故「手を出せないか?」というと、少々「魂的な表現」に
なりますが、
《「類とも的」にも「より良く」を追求している時には、
同じ「時間空間」を「共有」出来るのですが、それをその人
が簡単に諦めた時、最早「次元が異なる」為に「同じ時間空
間」を「共有できなくなる」為にそうなると言えます。》
つまり「同じ志が集まる」と言いますが、「類とも」とは
「共有できる次元」の話で、それが「異なる」と最早「空間」
から「言語」でさえ「通じない」。これは皆さんの「交友関
係」においても「同じ経験」が多々有ると思いますが、我々
の様に「行法の世界」に居ますと、尚更、その様な現象が
「明確」に起きるのです。「何となく分かりますよね?」
よって、物事には「順序」が有ります。九州からの若者は、
まず、彼の親御さんに対して「決意、志、覚悟」を示す必要
が生じます。その次に、彼を紹介してくれた弟子、そして私
に対して「信用」を得なければいけません。でも、全ては
彼の自由で、彼のこの後の「選択」次第ではあります。
私としては「より良く」なって頂ければ、それで良いと思い
ます。
更に、続けていきましょう!!
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