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更に「根源的な話し」をしましょう。
これは、皆さん「日本人」が大昔から「馴染んで」
来られた「神道」に纏わる話しです。
全ては「自然崇拝」から始まります。日本においても
古来から「神様」が宿る「依り代」として「祀られる」
対象とは「山」そのものであり「神木」でもありました。
それらを祀る「神社」に参拝すると気がつくのは、古来
から《「神社」には必ず「鏡がある」という事実です。》
皆さんの家の「神棚」の多くにも「鏡」があると思います。
《何故、神社や神棚には鏡が祀られているのでしょう?》
「鏡」とは自分自身の姿を「ありのままに映す」ものです。
《「神道の本質」として「鏡」に映る「自分自身の中の神様」
と向き合い「自分を振り返って見つめ直す」という大きな
意味があるのです。》
「梵我一如」の本質と同じく「我の中にも神在」ですから、
《自らを「映す」事の出来る「鏡=かがみ」から
「が=我=エゴ」を抜くと「かみ=神」となる。》
《つまり「我」の中の「我」に気づいて「我」が無くなれば
「神」に近づく。》
この事を意味しているのですが、前項までの話しを総合して
分かるのは、我々は「肉体、生命」を持ち「この世」に居る
以上、「我を完全に滅する」事は「ほぼ不可能」になる訳で
その為に「ありとあらゆる経験」を目的とした「輪廻」が
有る訳ですから「実質的」には、
《「我」を完全に「滅する」事を可能にするのは、それこそ
「神」の所行という事になり、「神」でなければ「無理」
だとも言えるということになります。》
我々「人間」にとっては「生存本能」だけでも「エゴ」で
あり「より良くなりたい」という「主体」自体も「エゴ」
だと言えますから、単純に「無くすこと」さえ「不可能」
で、それを「可能」とする事は「この世」の「今世」の
「放棄」を意味します。
《ならば、我々は「自分のエゴ」と「どう向き合い」
「どう操れば」良いのか?となります。》
こうして「思考を煮詰める」ことによって、ようやく
「エゴ」の「正しい形」というものが見えてくるように
出来ているのです。物事を安易に捉えようとすると、
全ての本質は「掬う両手の間から、こぼれ落ちるもの」
と知っておきましょう。
更に続けていきましょう!!
「氣塾」代表 木村丈彦
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