「真、行、草」書道と茶の湯で異なる価値観(茶の湯者から詫び数奇ぞして名人)6

最後は「侘び茶」「千利休」の「禅哲学」について となります。「茶の湯」における「真、行、草」 とは「様式」の違いを示すだけではなく、「稽古」 「行」の「段階レベル」をも示しているものです。 徹底した「稽古」により「真の格」を体得し、 やがて...

「真、行、草」書道と茶の湯で異なる価値観(侘び茶への道とスポンサーの存在)5

「珠光」が提唱した、それ迄の「公家」や「武士」 による、高価な「唐物」「名物」を尊ぶ「書院茶」 という「様式」「価値観」から離れ、「侘び」 「冷え枯れる」といった「不完全の美」、つまり 格式のある「書院茶」をやつし、「真、行、草」の 「草の...

「真、行、草」書道と茶の湯で異なる価値観(東山文化の書院茶から珠光の侘び茶へ)4

「中国」より伝わった「真、行、草」の「美的 価値観」は、「日本独特」の「進化」を歩んだ 「茶の湯」においては、やがて「逆転現象」を 起こす事になります。「茶の湯」では「室町時代 中期」の「足利義政」の時代に確立された、 《京都「銀閣」の「東...

「真、行、草」書道と茶の湯で異なる価値観(中国と日本で異なる価値観)3

「王羲之」の「書」は「奈良時代」の「754年」、 「鑑真和上」の渡来と共に日本に伝わることに なります。また「美と技術の極まる道筋」を示す 「真、行、草」の「羲之書法」と「哲学」も大きく 広まります。その影響は「平安時代」の「三筆」 「三蹟...

「真、行、草」書道と茶の湯で異なる価値観(書聖、王羲之)2

「真、行、草」とは「茶の湯」における日本人独特の 「美意識」を表現する「言葉」として、各所に登場 しますが、その元となるのは「書道」における「書式」 にあります。「書道」とは「漢字」を用いた「中国」 で古くから発達した、「毛筆」によって「書...

「真、行、草」書道と茶の湯で異なる価値観(曹洞宗、道元禅師の空手)1

以前「古式マスターヨーガ」に伝わる「空手のススメ」 と言う「教え」をご紹介しました。「空手のススメ」 とは、「細やかな技術」の先にある、一つの「技術的 境地」のことで《「技術」を「十二分」に積み上げ 「実証」による「経験」を積み重ねたなら、...

「太極内丹理論」道に存在する「段階」の性質(毎日続ける者には誰も敵わない)6

「段階」を得て「歩んで」いく「学び」に対して、 「太極」では以下のような「言葉」があります。 《大きな勉強をするには、大きな代償が必要である。》 優れた 「技術」を学ぶには、それ相応の「覚悟」が 必要です。「技術」というものは、それを「得よ...

「太極内丹理論」道に存在する「段階」の性質(感覚の段階)5

ならば「上達」の為の、大切な「秘訣」とは何か? と聞かれますと、現在の自分の「正確な段階」を 絶えず「認識」する事にあります。「段階」ですから 次の「段階」とは、今の「出来る事」の「延長線上」 にある筈です。次の「次元」ですから「見え難い」...

「太極内丹理論」道に存在する「段階」の性質(上達と下達)4

「中国」で古くから「武芸全般」において、言われて きた「言葉」です。 《全ての「物事」には「上達」と「下達」がある。》 「上達」とは「小技」にとらわれずに、物事の「根本」 を理解し「段階」を上げること。それに対し「下達」 とは小手先の「技」...

「太極内丹理論」道に存在する「段階」の性質(苦労に潜む天命)3

「平穏無事」「何事もなく」を「人」は「望み」ます。 「人」であれば、それは当然の「心情」なのかも しれません。「売り上げ」を作る為の「仕事」であれば 尚更です。しかし「何事もない」のですから「段階」を 上がる「進歩」も無いのです。ここが「難...