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《道元禅師の修証一等と只管打坐》
お分かり頂けたでしょうか?「空手のススメ」とは
「細やかな技術」の先にある、一つの「技術的境地」
でもあるのです。《「技術」を「十二分」に積み上げ
「実証」による「経験」を積み重ねたなら、そろそろ
そんな「自分」を「信じて」、何の手も持たずに
ことに「挑んで」みなさい。》という「先達の教え」
です。その「真髄」において「あえて、何も知らずに」
「あえて、何も見えずに」ことに挑む、いっそ「空手」
の方が「真剣勝負」の中では、無駄な部分が全て削ぎ
落とされて《大事な所だけ、良く見ることが出来る。》
これが「真実」です。
「道元禅師」は更にこう説いています。
いわゆる「技術」としての「成仏」とは、一定段階に
達することで「完成」されるようなものではなく、
たとえ「成仏」したとしても、さらなる「無限」の
「修行」を続けることこそが「成仏」の「本質」であ
る。よって徒らに「見性(けんしょう)」を追い求め
ず、「坐禅」している姿そのものが「仏」であり
《「修行」の中にこそ「悟り」がある。》
つまり、これが「修証一等」の「考え方」になり、
「釈迦」に倣い、ただひたすらに「坐禅」に打ち込む
ことが「最高の修行」である「只管打坐=しかんたざ」
と主張しました。
つまり、「道」や「行」を含め、あらゆる「技術」の
「本質」として、
《「行」つまり「技術の実践」と「悟り」とは「不可分」
であり、本来「一体」のものなのだ。》
《「只管」=ただひたすらに.その物事に「打ち込む」
中にこそ「進歩」、つまり「悟り」が「生じる」ので
ある。》
その「心」として、《不要なものを一切捨て去った先に
「本当の芯」は見出される。最後の「肝心な局面」に
おいては、「自ら」の「経験」を信じ、「身一つ」で
「挑む」のが良い。》
ということではないでしょうか?
《よって、あらゆる「技術」というものは「開展緊湊」
の方向に流れてゆき、やがて極まれば「空手」に至る》
ということです。
いかがでしょうか?「修証一等」により「行」つまり
「技術の実践」と「悟り」とは「不可分」であり本来
「一体」のものなのだ。という事ですから、ただちに
悟りに達するという「頓悟」であっても、やはり「実
践」による「検証」は必要であり、不可分とさえ言え
るのです。よって「悟後の修行」は必要となり、検証
無しでの悟りは「60%程度の悟り」であり、検証無き
ものは「境地」とは言えず、と帰結可能になります。
では、新たな「テーマ」に移りましょう!!
「氣塾」代表 木村丈彦
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