誰にも「迷い」というものがあります。「あなた」は何かに
迷った時にはどうされますか?皆さんの中でも「迷った時」
には「遠いどこか」に行きたがる人は多いと思います。
日本には「伊勢」や「高野山」「出雲」の様に「自然の氣」
が渦巻いている「パワースポット」がいくつもあるからです。
時間に追い回される「都会」に疲れたら、そんな旅も良い
ですよね? 私も「大昔」僅かに「7年」ではありますが、
会社組織に雇われていた時は、通勤電車に揺られながら、
「ふと、このまま電車に乗って、何処かに行ってしまおうか」
なんて、衝動に駆られることもしばしば有りました。そして
「独立」して、やがて「師匠」と出会い「修行」に明け暮れ
ていた時なんかは、《「海外」の何処かには、また違った凄い
「パワー」があったりして?」とか「何処かにもっと凄い力が」
とか、他の国の「何らかの修行法は凄いのか?」とか、》
色々情報を集めたり模索もしましたが、「海外で修行をした
人達のあれこれ」を聞いているうちに、あまりにも意味が無い
事に気が付きました。
《何故なら、どこの国においても最終的な力とは「氣の力」
に集約されており、結局、その文化に応じて「氣の力」の
「呼び名」が違うだけに過ぎなかったからです。》
つまり「インドのプラーナ」「チベットのルン」「英語圏の
オーラ」「日本古事記のむすび」「植芝盛平の透明な力」
更には「イギリス」の「魔法教室」で修行を積んだ方でさえ
も、結局「高度な魔術」を使える「鍵」となるのは、やはり
「術師の気力のレベル」となり、そういう事実もろもろを
総合して考えてみると、
《違う「国」でも、同じ「この世」の、同じ「人間」なの
だから、やはり使う「力」とは、同じ「氣」なのだ。》
と悟ることが出来ました。そして、そうなら「本物のお師匠」
の持つ「技術と力」を「極めれる」だけ「極めてみよう!」
と、迷いも無く、本腰を入れて「修行」を重ねる事が出来た
のは、自分にとってとても「幸せ」なことだったと思います。
一人の人には「沢山の可能性」があります。でも「可能性」
があるだけに「迷い」が生じて来ます。それは「果たして、
これで良いのだろうか?」というやつですね。
《人は「迷う」と必ず「選択肢」を「増やそう」とします。》
それは「迷う」故に「選択肢」により「安心を得る」ために
そうするのですが「古式マスターヨーガ」においては、
《「選択肢」は「削れ」「捨てろ」という「教え」が有ります。
それは「選択肢がまだ有る」という「甘え」が「中途半端」な
「現象」しか作らないからです。》
だから「迷ったら」「選択肢は削る」べきです。もちろん納得
した上で「一つの可能性」に絞って、そこに「全身全霊」を
投入する。そうする事を心掛ければ、自ずと道は開かれます。
更に、続けていきましょう!!
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