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今回の「テーマ」は、一つの生徒さんからの「質問」
からスタートしています。その質問とは、
「こんにちは、ブログを毎日拝見して「氣」や「魂」に
ついて色々と勉強させて頂いておりますが、私達「人間」
が「犬」や他の動物達に「生まれ変わる」、また逆に
「動物」が「人」に「生まれ変わる」事はあるので
しょうか?一つ、先生の御見解をお教えください。」
良い質問です。非常に「根本的」で「難問」のようにも
見えます。私の意見を先に言いますと「否」となりますが、
今回は、広く「人」の「魂」の謎について、様々な「角度」
から「検証」したいと思います。
その検証に対して「別角度」からの、一つの「解答」として、
中国宋代に「無門慧開」によって編集された「公案集」であり、
「看話禅」における入門書「無門関=むもんかん」があります。
その中の「第一則」に「趙州狗子=ちょうしゅうくし」又は
「狗子仏性=くしぶっしょう」と呼ばれる有名な「禅問答」が
在ります。尚「趙州」とは中国唐末の禅僧「趙州和尚」を指し、
「狗子」とは「犬、犬の子」を指します。「第一則」趙州和尚
は「犬にも、仏性があるか?」と僧に問われ、それに対して
「無」と答えます。
《趙州和尚、因みに僧問う、「狗子に還って仏性有りや?」
州云く、「無」。》 という公案です。
当然、これは「禅問答」ですから、ここでの「無」とは、
単に「在り、無し」の「無」ではなく、この「僧」の問いに
対して「在り」と答えると「難」が付き、「無し」と答えても
また「難」が付きます。この「僧」は「一切衆生、悉有仏性」
を承知の上で「和尚」に法戦を挑んだのであり、瞬時にその
腹を見抜いた「和尚」は、「禅」の命題でもある「無」一字
という「仏性」そのものを示したのです。よって「無とは、
何ぞ?」という「根本命題」により答えたのであり、
「在り」でもなければ「無し」でもない、という「無字」
の「解釈」こそが「禅宗」最初の関門であり「禅宗無門関」
の名の「いわれ」でもあるのです。
優れた「公案集」の中の「第一則」である「趙州狗子」。
しかし、一方でこの「解答」は「狗子仏性」に正対する
答えではありません。実は、この「問答」には「続き」が
あるのです。長くなりましたから、続きは明日に。
更に、続けましょう!!
「氣塾」代表 木村丈彦
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