続、「念」の正体(霊と念を取り除く、散気法)11

「誰か」から「誰」へ、という特定の「人」への強い「思い」という「念」の場合は、その「距離」や「障害物」の「有る、無し」に関係無く「指向性」を持ち直接届きます。そして、「思い」が続けば、続いただけ相手に届きます。それは、ある種「想念的」に相手...

続、「念」の正体(思いの本体、霊)10

ここまで、書いてきました通り「念」とは、人が日常的に「残して」いるものであって、決して「特殊」なものでは無く、「意図的」に「残す」。つまり物を手塩に掛けて作ったり、また、それを長年掛けて使い込んで「馴染ませたり」、する事によっても残す事が出...

続、「念」の正体(答えは、あなたと私の間にあるのです)9

《全ての答えは「あなた」と「私」の「間」にある。》「私」と「あなた」が正対して「座って」いたとして、それが、すぐ「目の前」に居ればどうしても、すぐ前の人にあなたの「目の焦点」は合ってしまいます。これは人の生き物としての習性でもあります。しか...

続、「念」の正体(留まり続けることは出来ない!!)8

「良いものも、悪いものも」全て含めて「魂」から発せられる「思い」の「波」を持った「氣」が「念」である。そして「魂」と「氣」が「お湯」と「湯気」の関係ならば、「湯気」を集めれば、また、元の「水」に戻る訳で、結局は「同質」なもの。そして、その「...

続、「念」の正体(母の心配は、情念)7

ここ迄の解説の通り「念」とは決して「特別」なものではなく、生きている我々の「魂」から発せられる「氣」に「思いの波」が乗ったものが「念」です。それが明確に感じられるのは、自分が行なった物事の結末が「思い通り」にいかなかったとき「あーあ!」と言...

続、「念」の正体(気や念は個体物に残る)6

「念」というものは、常に「人々」によって日々「大量」に発せられて、「流されて」いくものです。しかし《「気」や「念」は「個体物」に「残す」ことが出来ます。》それは、例えば「人の手」によって「作り出せる物」。例えば「書」や「絵画」や「工芸品」か...

続、「念」の正体(念は残るから残念)5

「念」とは、日常であって、決して「特殊」なものではない!という表れに「残念」という言葉があります。「足りない」や「満足がいかない」、悔しくて「思いが残る」ということを示しています。「人」は普段でも「呼吸」と共に、それが少量であっても「気」を...

続、「念」の正体(念ずることは祈ること)4

皆さんにも、色々な「念じ」の経験が有ると思いますが、「強く」「何度も」「何日も」、「念じ」を繰り返す事によって、少なからず「現実」は動いていきます。今回の「テーマ」でも、「念じ」は、その性質において「良し悪し」は、あまり「関係ない」、という...

続、「念」の正体(現実を曲げる力)3

「人」の出す「気」に「思いの波」の乗ったものが、「念」です。前回のお話しの通り「思い」が強力であれば「念」は「尖り」、その「良し悪し」に関わらず現実を曲げる「力」を持ちますが、「念」の特徴として、もう一つ「思い」を持つ「時間」という要素があ...

続、「念」の正体(その良し悪しは関係無し)2

「氣」というものは、「生きて」いて「呼吸」をしている「人」であれば、絶えず「発せられて」いるものですが、「人」とは「他の人達」と絡んで、様々な日常を送る中で、色んな出来事があり、その都度何かを「思って」いる訳でして、その「感情」が「強く」な...